思えばぼくにとっての『赤』は汚いものばかりだった。
目の前で飛び散る鮮やかな赤。
燃え上がる赤。
自身にこびり付いた黒ずんだ赤。
赤を連想すれば連想するほど、蘇る思い出は汚いものばかり。
(大嫌いだった、大嫌いでたまらなかった。赤なんて……赤なんて見るだけで不快だった)
「ジェイ、危ない!!」
――それはたった、されど一瞬の隙に起こった戦闘中での事。
ぼくの一瞬の隙を突いた魔物が鋭利な牙でぼくを貫こうとした時の事。
「―――!」
ああ、しまった。不覚だ。
ガードしようにも流石のぼくでも至近距離にあるそれを避ける事はできそうにない。
「(ダメだ、やられる……!)」
きっとぼくは牙に体を貫かれるのだろう。とんだ失態だ。
次の瞬間来るだろう衝撃に備えて、ぼくはぎゅっと瞳を閉じた。
けれど、刹那感じたのは大きな温もりとザクッと斬られた音で。
「………え?」
音はしたのに、痛みも醜い赤が流れる感覚も感じない。
不思議に思ったぼくは、おずおずとぼくは瞳を開く。
そして、事態を呑み込み、目を見開いた。
「ッつつ、たいのう……!ド畜生がッ!」
いつもより掠れたテノールの声が聞こえたと同時に魔物の断末魔とドスッと――恐らく投げ槍だろう――何かで魔物を刺した音。
強く抱き締められているからか、ぼくには褐色の肌しか見えなかったけれど、おそらく『彼』が仕留めてくれたのだろう。
――助ける事は兎も角、まさか助けられる事になるとは思いもよらなかった。
「モーゼス!ジェイ!大丈夫か!?」
「おう!ちと、腕が痛むがの。ウィの字、治療してくれや」
「あ……」
ポンッと武骨な手で頭を一撫でされ、大きな温もりが消える。
暫くぼくは茫然と、彼がウィルさんの元へ行くのを見ていたけれど――どうやらぼくを庇って腕に傷を負ったらしい――彼の腕からはダラダラと流れる赤が見えた。
けれど、何故だろう。
「(キレイな赤……)」
不覚にも……本当に不覚にもそう思ってしまったのは。
「(な、何を考えてるんだ、ぼくは。何だって、あんな人なんかに……!)」
無い無い。有り得ない。きっとぼくは混乱しているんだ。
じゃないと、有り得ないだろう?よりにもよって、あんな馬鹿山賊にそんな事を思うなんて。
「(あああ、もう!今日は厄日だ。ドジは踏むし、あんな馬鹿なんかに助けられるし、)」
褐色の逞しい腕から流れる赤の血。
深みのある赤の髪。
偶に鋭くなる同色の赤の瞳。
赤。汚い色。
赤。ぼくの嫌いな色。
赤。ぼくの―――。
混乱する頭を宥めるように、ぼくは今は屍と化している魔物をチラリと一瞥した。
やはりそいつの体には彼の投げ槍が突き刺さっており、無数の赤が流れていて。
もう一度、ぼくは彼の方を見る。
魔物から流れている、赤。
彼から流れている、赤。
「(全く同じものだ。それなのに、)」
赤。警告の色。
赤。炎の色。
赤。生命の――。
赤。―――。
嗚呼。今まで赤なんて、汚い色としか思った事が無かったのに、
「(どうして?あの色に関して嫌な記憶しかないのに)」
キレイだ。彼を見て、本気でそう思ってしまったなんて。
「(どうかしてる。本当に、どうかしてる……)」
「おーい、ジェージェー?生きてる~?」
「!」
「『空は青いな』状態な顔してるよ~?もしかして気分悪いじゃない?さっきもジェージェーらしくない隙見せちゃってたしさ~」
「それ、どんな顔ですか……ていうか、別にぼくは隙なんか……!」
「はいはい。ムキになんない~、なんなーい。そんな時もあるって~」
あはは、とあっからんとノーマさんが笑うので、ぼくはむっと眉を顰めた。
心なしか、いつもと違ってその瞳は何かを見透かしたような光を帯びているような気がする。
ああ、面倒くさい。 普段は扱い易いクセに、この人はたまに誰よりも大人な顔をするから、こういう時の彼女に何を言って打ち負かせばいいのかわからない。
「心配しなくても大丈夫だよ~。だって、モーすけだもん。好きなのは分かるけど。あ、でもお礼はいいなよ~?」
「はぁ!?す、好きな訳ないですよ、あんな人!何言ってるんですか貴方は!」
ノーマさんの意味の分からない指摘に、柄にもなく動揺した。
だって、そんな訳ないだろう。あんな人なんか心配してないし、好きでもない、ただ、キレイだと……。
……?何でぼく、キレイなんて……?
「それに!大体さっきの攻撃だって、モーゼスさんが勝手に……!」
あああ、むしゃくしゃする、情報が整理出来なすぎて気持ち悪い、不可視の異名が廃る……!
男にキレイはないだろう、しかも大嫌いな赤色でキレイと思うなんて頭がどうかしている。
分からない。わからない。解らない。判らない。
ああ、もう、どうして、
「だからぼくは別にモーゼスさんなんかに……」
「あ?ワイがどがあしたんじゃ?」
「!!」
「おっ。お帰りモーすけ!傷は大丈夫~?」
「おお、まあ見た目は派手じゃったが、実際はあんま大した事は無かったのう。というか、ワイが牙で斬られた位でへこたれる訳ないじゃろ、クカカ!」
「そだよね~。モーすけだし」
「……何じゃろう、そがあにさらりと肯定されるとそれはそれで腹立つのう……。で、ジェー坊。ワイがどがあしたんじゃ?つぅか、気分は大丈夫なんか?」
「え、あ……」
治療を終えたらしい彼がぼくの顔を覗き込むんだ
先ほど赤が流れていた場所はウィルさんの爪術で塞がれたらしい、怪我をした跡形も無くなっていて。
……お礼、言わなくきゃな。
別にぼくは助けて欲しかった訳じゃないんだけど、庇ってもらったし。
し、仕方なくだけど!不本意極まりないけど!ノーマさんに言われたからじゃないけど!
「その……モーゼスさん、さっきは……」
「おお!?」
「!?」
「ジェー坊、どがあしたんじゃ!顔、茹でタコみたいな事になっとるぞ!?熱あるんじゃ……」
「!は、離してください!」
「ふごお!?」
彼の赤い瞳にじっと見つめられて、伸ばされた手に何とも言えない緊張感がぼくに襲いかかってきて、思わずぼくは彼の顔を殴ってしまった。
だって仕方ないじゃないか。少し申し訳ないけれど、これは防衛本能だ、仕方がないと思う。
「あ……」
「い、いきなり何するんじゃ、ワレェ!?っておい、ジェー坊、どこ行くんじゃ!!」
「少し気分が優れないので泉で顔洗ってきます!」
不覚にも殴ってしまった事の罪悪感と、とにかくこの場から逃げ出したい本能に駆られるように、ぼくはこの先にある泉へと全力疾走した。
どくんどくん、心臓がうるさい、顔が熱い。
ぼく本当に調子が悪いのかな?
泉の水で頭を冷やして、今日帰ったら直ぐに寝よう、うん。
「一体何じゃったんじゃあ……?おーいてて。アイツ、思いっきり殴りやがって……」
「あはは、逃げられちゃったね~モーすけ!いよっ、フラれマン!」
「うっさいわシャボン娘!」
「ふっ。ジェイも素直では無いな……」
「それ、クーにだけは言われたくないと思うよ~?」
「な、何だと!?」
「あらあら、ジェイちゃん、お顔真っ赤だったわね~」
「そうですね……ジェイの調子も悪いようだし……今日の探索はここまでにするか?」
「そうだな。モーゼスもブレスで治療したとはいえ怪我を負ったしな。今日はここまでにして、灯台の街へ戻ろう」
「賛成です」
「そうと決まればワイ、ジェー坊呼び行ってくるわ!」
「今度は逃げられないようにね~、モーすけ♪」
「アホ!もうそがあな真似させんわ!」
「(……こんなの、今日だけ。明日になればあの人の赤も汚く見えてくる筈だ......)」
泉に着いて、ぼくはばしゃばしゃとその水で顔を洗う。
水鏡に映る自分の顔は自分の嫌いな赤で染まっていて。
ちっとぼくは舌打ちをした。
赤。警告の色。
赤。燃える色。
赤。生命の色。
「(ああ、もう最悪だ!)」
赤。衝動の色。
赤。情熱の色。
赤。愛の色。
「(……あんな赤、ぼくは知らない)」
ああ。どうしよう。顔の火照りはまだまだ冷める事を知らない。
End?